「尊い時間」
白血病を告白した池江璃花子選手や
ガンを告白した沢山の芸能人のニュースを
目にすると とても心が痛くなるのと同時に
いつ、誰に、何が起こってもおかしくない話に
怖さを覚えたりする。
人間ですから どんなに気をつけていても
そうなってしまうことは 避けられない。
昨晩から いんげんの胡麻和えを作り、
白菜の煮びたし、お味噌汁は煮干しで出汁をとって。
ご飯は もち麦なんてものを入れて炊いてみた。
もち麦とやらの栄養表記に感心して、
一つ二つと咲き始めた梅の花に感動し、
心穏やかに 今日という日を迎えられたことは
なんと尊いことかと ご飯を噛み締めながら胸が苦しくなった。
昨年 大好きな札幌のおじさんが亡くなり
お通夜にいった時に 住職が話された言葉を思い出した。
”おじさまは 亡くなるまでの数か月間、声を無くし
思うように話すことが出来ませんでした。
その 生きにくさ、悔しさは どれほど深いものでしょう。
亡くなった人を 「仏様になった」と言いますが
私が思うに、亡くなったから「仏様」なのではなくて
生きながら 病と闘い、苦しみと向き合い、
周りの人の苦労を想い、今日も明日もと頑張るその姿こそが
もはや「仏様」なのではないでしょうか” と。
そうだ・・・。
生きていながら 懸命に頑張る姿、その気持ち、
その存在こそが 仏様なのだと思った。
周りの人は その姿に沢山のことを教えられ、
感じ、共有して 過ごす。
ご飯を美味しいと思えること。
花が美しいと思えること。
仕事が出来ること。
今日も 尊い時間を
有り難く過ごそう。